庭竹のSDGs

eco→環境緑化→SDGs

植木屋の業界にも流行のようなものがあります。樹種や品種はもちろん、手道具を含む機械道具、肥料および薬剤、お庭の様式などにもその傾向が見られます。環境への配慮に関する取り組みも、以前は「eco」と呼ばれていましたが、十数年前からは「環境緑化」と呼ばれるようになりました。そして今後(2019年現在)は、SDGsへの取り組みが必要になってくると思われます。

そこで庭竹でも微力ながらSDGsへの取り組みを行っています。とはいえ、小さな事業所であるため、個人でもできる身近なことから始めています。庭竹は植木屋として二十数年、緑化に携わってきました。世田谷は都心部に比べて個人宅が多く、それに付随する庭も多くあります。また、都市公園や運動公園など緑地も豊富です。さらに世田谷区は独自に「みどりの計画書」という緑地計画を設けています。

季節の花を植えた小さな鉢植えや運動競技場を併せ持つ大きな公園も、どちらも緑化です。そして、どちらも人の手による維持管理が必要です。逆に維持管理がされていない「みどり」は野生化してしまいます。野生化すると植物の中でも生存競争が起こり、強くたくましい樹種や品種が生き残り、繁茂していきます。人々が居住する市街区と野生化した緑地は、現在の感覚ではマッチしません。市街区においては限られたスペースに計画的に植栽し、「人」と「みどり」が共存する上では無秩序な繁茂は好ましくありません。樹勢をコントロールし、美観を整える必要があります。緑化には維持管理が必要であり、専門的な技術や知識、さらに美観に対する配慮ができる専門職が望ましいと思います。

ボランティア活動を通して

庭竹は世田谷区立次大夫堀民家園にて『鍛冶の会』というボランティア活動をしています。かつて世田谷には鍛冶屋があり、農具や包丁などの日用品を作っていました。我々鍛冶の会が使用するフイゴや金床は廃業された鍛冶屋から寄付されたものです。昔は今と比べて遥かに物を大切にしていたそうです。鉄は伸ばすことも、くっつけることも可能な素材であるため、出刃包丁を果物包丁に作り替えたり、古釘を集めて切り出し小刀を作ることもできます。神社のご神体である鏡や日本刀などは、美や神秘をまとい何百年も残っています。

鉄という素材は長く使える、繰り返し使える、形を変えて別の用途に使えるという特性があり、ECOにマッチしているといえます。生活に寄り添った道具を作り、メンテナンスすることで繰り返し長く使用でき、作り出される道具そのものに美を付随させることも可能です。

『鍛冶の会』では年間を通じて様々な体験教室を開催しています。教室ごとに大人向け、子供向け、親子向けと工夫されています。特に子供向けの鍛冶教室では、貴重な体験を通じて教育の側面もあります。

また、次大夫堀民家園では近隣の方が手放した畑の管理も行っています。とても広い畑であるため、次大夫堀民家園に所属する複数のボランティア(鍛冶の会を含む複数の会)で分割管理しています。「そばの会」は自前のそばを植え、「藍染めの会」は藍を植え収穫しています。我々鍛冶の会は季節の野菜を育て、畑の管理に貢献しています。

ワークショップ ボランティア

次大夫堀民家園の鍛冶教室です。こちらは、子ども向けの風鈴教室の風景で、実際に赤く熱した鉄を叩き伸ばしています。

保護具(ゴーグル、手袋、長袖のシャツなど)を着用した上で、指導員のサポートが必須ですが、とても貴重で濃密な体験ではないでしょうか。鍛冶体験に興味があっても、実際に作業をするためには作業環境が整っていなければ実現できません。このような学びの場を提供している世田谷区は、全国的に見てもまれな自治体ではないかと思います。

農地管理

次大夫堀民家園で管理している畑から民家園を望む風景です。手前の花は「そばの会」が植えているそばの花です。世田谷でもそばの花の写真が撮れる場所があるため、とても興味深いと思います。この花の奥には「鍛冶の会」が管理している一角があり、季節ごとにノラボウ、エダマメ、サツマイモ、カボチャなどを育てています。

畑を耕し、雑草を取り除き、支えが必要な品種には支柱を設置します。畑作業の心得がある会員の指導のもと、与えられた区画の維持管理に努め、また収穫の喜びや食べる楽しさを実感しています。農家ほど切実ではありませんが、天候などに左右されてうまくいかないこともあります。これもまた体験を通じた学びになります。

畑は緑化とはやや異なりますが、人による手入れを怠れば荒れてしまい、やがては野生化してしまいます。市街区では継続的な手入れが重要です。

手道具の自作

植木屋の冬仕事と言えば、竹垣などの垣根作りです。竹を割ったり削ったりと加工を施し、釘を打ち込むときには釘が目立たないように奥まで丁寧に打ち込みます。用途ごとに必要となる道具も異なります。かつては鍛冶職人が専門的な手作りの道具を製造しており、各業種の専門職がそれらを買い求め、大切に使っていました。しかし近年では、大量生産された安価な道具が量販店などで出回り、それらを専門職が購入するようになっています。

その結果、大きく二つの問題が生じました。一つは、安価であるがために道具が大切に扱われなくなり、一部には使い捨てのような道具も登場したことです。もう一つは、鍛冶職人の困窮です。もちろん現在でも手打ちの道具にこだわる専門職はいますが、彼らも鍛冶職人も少数派となってしまいました。

庭竹は、同業の職人でも他業種の職人でも、その道具に自然と目が向いてしまいます。「道具には人柄が出る」というのは、お世話になった親方の言葉です。

長くなりましたが、上の画像の道具は庭竹の手作り道具です。手道具である以上、使い勝手が良くなければなりません。使い勝手は形や重さ、手触り、重心などの細かな要素に左右されます。一度欠けたり錆びたりして捨てられるはずだった道具でも再生が可能です。自分で調整しながら作った道具は、ほぼ理想型と言えるでしょう。主に冬場しか使わない道具ですが、大切に扱えば100年くらいは使えるかもしれません。庭竹は使い捨ての道具よりも手作りの道具が好きですし、それを大切にするという感覚もとても好ましいと思います。

剪定ゴミの処理

植木屋の職業上、発生材(枝ゴミ)の処理は避けて通れない問題です。昔は半農半職の植木屋も多く、自前の畑で処理をしたり、燃やしていたと聞きますが、現在では二通りの処理方法が一般的です。一つは地域の清掃局ゴミ焼却場に持ち込む方法、もう一つは枝ゴミを専門的に取り扱う処理場に持ち込む方法です。

前者は、いわゆる家庭ゴミの処理場であり、処理方法は焼却です。枝ゴミは熱処理によってゼロになりますが、その過程でCO₂を排出します。一方、後者は枝ゴミを一般廃棄物として受け取り、その後、破砕処理場に運ばれて加工され、肥料またはバイオマス発電の原料として再利用されます。

循環型社会の観点から、庭竹では後者のリサイクル型処理場を利用しています。

電動化

『Letsマキタ』そんな言葉はありませんが、ブログにも書きました通り、植木屋のようなどちらかというと伝統的でアナログな業種にも、新しい風が吹いているのを実感しています。

作業効率はお客さんの出費と直結しますので、必要に応じて機械を使用しますが、これまでの機械と言えばエンジン式が主流でした。しかし、現在は充電式の機械が主流になりつつあります。庭竹が小僧の頃には考えられなかったほどの進歩と変化です。

『道具とは手段である』とは、お世話になった親方の言葉です。道具の選択を間違えると『カレーライスを箸で食べることになる』と教えられました。昔気質の職人らしい素っ気ない言葉ですが、すなわち、頑固職人のつもりがいつしか取り残されてしまう残念な職人になるという意味だと認識しています。

エンジン式の機械は便利で馴染みもありますが、エンジン特有の騒音が気になります。世田谷の植木屋として、騒音が多いのは避けたいところです。その点、充電式の機械は騒音がかなり抑えられますし、環境面でも遥かに改善されています。

作業効率をクリーンエネルギーでまかなうなんて、まさに令和の植木屋らしい発展で、庭竹はこの変化をとても気に入っています。