鍛冶の会 鑿
自作の鑿について、自作と鑿と言う言葉はあまり使われることのない組み合わせでしょうか。
使い手である大工さんや木工、木彫家さんは通常は本業の鍛冶屋さんが造った鑿を使われますから、自作の鑿と言うワードは出てきません。本業の鍛冶屋さんもご自身の商品を自作とは言わないと思いますので、必然的に『素人の』自作の鑿と枕詞が付きます。
さて、上画像は私の造った鑿ですが柄のついている個体は昨年の物で、ついていない方は今年の作品です。柄は鍛冶の会の兄弟子にすげてもらいました。
昨年の個体は同時並行に2本造った片割れです。片側の耳に鍛接不良がありまして、『民家園まつり』での販買を断念した経緯があります。
こうして二本を比べてみますと、少し複雑な気分になります。鍛冶作業に取り組んでいるときには制作対象の形状を問わず、前よりも上手く造りたいと思っているのですが、そうもいかないものだと痛感します。
上手くなったところと、下手になったところが結果的にプラスマイナス0といった所でしょうか。
それでも昨年は理解していなかった鑿と言う道具の道理が少し解ったりして、知識は昨年よりもマシな筈ですが技術の方は逆に劣化しています。
こうして比べる事で、新たに気づくこともありますので、次回(来年)の鑿はもう少し良くなると思っています。しかし素人鍛冶としては鑿は本当に面白い課題で、何度造っても上手くいきません。
鍛冶作業では鑢による成形時では、下画像の様に対象は銀色をしています。
成形も進み、よしと思って焼き入れをすると肌は黒くなります。すると銀色の時には気づかなかったアラが目についたりして、なんでかしらと頭をひねりますが、成形時には自分の目が良い方向に補正をかけているんだと解釈しています。
こちらは初めて作った鑿です。
当会顧問の左久作師匠が火造りされた物を、「鑿として仕上げておいで」と宿題に渡されたものです。当時は当時なりに一生懸命取り組んだのですが、減点ポイントが多すぎてこちらも『民家園まつり』には出品できない在庫になってしまいました。
私は作った本人ですから可愛く感じますが、使い手から見れば使いようのない鑿もどきでしかありません。
さて、来年はもう少しマシな鑿が造れそうだと毎年思っている『鍛冶の会』広報の庭竹でした。
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